はじめに:フィリピンでボランティア活動に参加
私は1ヶ月間、フィリピンのマティという町に滞在し、現地の貧困地域を訪問しながら、前もって決められていた家に支援物資を届けるボランティア活動をしました。
支援物資には、食べ物、薬、衣類、鉛筆、靴、、学習用具などが含まれており、現地の子どもたちや家族にとって欠かせないものばかりです。
活動は月に1度のみの開催だったため、私は滞在中に1回だけ参加しましたが、そのわずか1日で、これまでの価値観が大きく揺さぶられるような経験をしました。
その中で訪れた3つの地域のひとつが「マリナウォン」というエリアでした。

人の多さに圧倒されたマリナウォン
マリナウォンに着いて最初に感じたのは、とにかく人の多さです。子どもからお年寄り、若者まで、道という道に人があふれていました。訪問の途中、私たちは道端で出会った子どもたちにお菓子を配りました。
彼らの服には日本語が書かれていたり、日本のアニメキャラクターがプリントされていたりしていて、思わぬ形で日本とのつながりを感じることができました。

鶏を戦わせて賭ける若者たちの姿
道を歩いていると、青年たちが鶏を戦わせて賭けをしている場面にも遭遇しました。命を使った娯楽、という現実に、ショックを受けると同時に、彼らが生きる環境の厳しさや、娯楽の少なさを感じさせられました。
車でたった10分の距離にある自分が滞在していた地域とは、道の整備状況、におい、空気感まですべてが違いました。

家族の崩壊と、支援に頼る暮らし
マリナウォンでは、ある1軒の家庭を訪問しました。そこにはおばあちゃんと、彼女が育てている3人の子どもたちが住んでいました。子どもたちの母親はすでに亡くなっており、父親も家を出ていってしまったとのことでした。
家はかなり老朽化しており、壁や床も壊れかけていました。そんな中でも、彼らはアメリカや日本など海外からの支援物資に頼りながら、なんとか生活を続けていました。
子どもたちは家事をしながら生活していて、「子どもなのに子どもらしい時間を過ごせていない現実」**を目の当たりにしました。


何が本当の“豊かさ”なのかを考えさせられた
マリナウォンでの体験は、「自分にとっての当たり前」が、世界では当たり前ではないことを教えてくれました。
日本にいると、清潔な水、整った道、静かな暮らし、そして家族と安心して暮らせる環境が当然のように思えてしまいます。しかし、ここではそのすべてが「与えられたもの」ではなく、“失われたもの”として存在していたのです。
それでも、子どもたちが見せてくれた笑顔や元気な挨拶には、本当の人間の強さや温かさを感じることができました。
次回につながる一言: 静かな海辺の集落「マガポ」へ
マリナウォンのような活気と混沌の中とは対照的に、次に私が訪れたのは、海上に家がある静かなエリア「マガポ」でした。そこではまた違った形の貧困と、それでも前を向いて生きる家族の姿に出会いました。、マガポで出会った心に
次は、残る家族との対話を中心に、フィリピンの別の側面をご紹介します。

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