旅行ガイドに載っているフィリピンは、青い海と陽気な人々が溢れる楽園のような場所だった。
でも、僕が出会ったフィリピンは、もっとリアルで、もっと深かった。
学校支援のボランティアに参加したある日、笑顔で「ありがとう」と日本語を話しかけてくれた子どもたち。
その優しさの裏には、親を亡くし、教育を受けられず、日々を必死に生きる現実があった。
ただの旅行者として訪れた僕は、彼らの笑顔に何度も心を打たれ、同時に「自分に何ができるんだろう」と無力さにも向き合った。
今回は、そんな“もう一つのフィリピン”で見た現実と、子どもたちが教えてくれた“生きる力”について、素直な気持ちで綴りたいと思います。

支援チーム
5日間のボランティアで出会った「優しさ」
僕は、フィリピンのある学校支援イベントにボランティアとして参加しました。
そこで、現地の子どもたちにお菓子や食事を配給する活動を行いました。
正直、最初は「小さな支援でも誰かの役に立てれば」という軽い気持ちでした。
でも、その日、僕の考えは大きく変わりました。
配給を終えたあと、何人かの子どもたちが笑顔で僕のところに駆け寄ってきました。
手にしていたのは、フィリピンのローカルなお菓子。
「ありがとう」と言って、それを僕に渡してくれたんです。
自分たちの持ち物は決して多くないはずなのに、お礼に何かを返そうとするその気持ちに、胸が熱くなりました。
10分で別世界──スラム街で見た現実
イベント会場から車で10分ほど走った場所に、現地のスタッフが案内してくれたスラム街がありました。
そこは、観光客がよく訪れる明るいフィリピンとは全く違う、“もう一つのフィリピン”でした。
トタン屋根の小さな家々、破れかけたボールでボールで遊ぶ子供たち、そして強い日差しの中でも黙々と家事をこなす子どもたちの姿――。
ある家庭では、両親を亡くした5人の子どもたちを叔母さん一人が育てていると聞きました。
その家の子どもたちは、学校に行けていません。
日々の生活費を稼ぐために、子どもがモノを売ったり、家事をしたり。
教育は「贅沢」であり、生きることが「最優先」という現実がそこにありました。

スラム街
「僕にできることなんて、ない」──無力感と葛藤
その光景を目の当たりにして、僕は言葉を失いました。
自分がこれまで当たり前だと思っていた生活。
今日食べるものがあること、学校に行けること、夢を語れること――。
それらは彼らにとって、特別すぎる現実だったのです。
正直、僕にできることなんてほとんどありません。
5日間の支援、少しのお菓子、ちょっとした会話。
「これで何かが変わるわけじゃない」と思ってしまった自分もいました。
でも、何もしていないわけじゃない。
そう信じたくなる出来事がありました。
「ありがとう」「こんにちは」──日本語で返してくれた笑顔
そんな僕に、子どもたちが笑顔で話しかけてきたんです。
「ありがとう」「こんにちは」――片言の日本語で。
中には、「日本語教えて!」「日本の街ってどんなところ?」と目を輝かせて聞いてくる子もいました。
こんな場所でも、日本を知っていて、日本に興味を持ってくれている。
それが嬉しくて、ありがたくて。
僕はただの一人の旅行者に過ぎないのに、彼らはまっすぐ僕を見て話してくれた。
「生きる力」は、笑顔の中にあった
子どもたちの環境は決して恵まれていません。
それでも彼らは人を信じて、与えられるものを返そうとして、笑っていた。
それは“余裕”の笑顔ではなく、生きようとする強さそのものでした。
僕は日本に帰ってからも、この優しさを忘れられません。
宿泊先から車でたった10分の距離で、真逆の世界が存在する。
その事実は衝撃でしたが、子どもたちの笑顔が教えてくれたものは、
「自分にできることが小さくても、誰かに寄り添える」という希望でした。
✨まとめ:小さな行動が、誰かの心に届く

フィリピンの子どもたちと出会って思ったのは、“支援”はモノだけじゃないということ。
言葉を交わすこと、目を合わせること、笑い合うこと――
それだけでも、十分に「何かをしている」と言えるのかもしれない。
もし、この記事を読んで「自分にも何かできるかも」と思ってくれたなら、
まずは知ること、関心を持つことから始めてほしい。
僕の旅は、小さな出会いから「生き方」を見直すきっかけになりました
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